大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

岐阜地方裁判所 昭和47年(行ウ)3号 判決

原告 西尾研

被告 社会保険診療報酬支払基金

訴訟代理人 伊藤好之 高崎武義 石原裕二

主文

本件訴を却下する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  原告の古田某及び稲垣某の療養の給付に関する費用の請求につき、被告が、昭和四七年二月頃なした減点処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  主文同旨

2(一)  原告の請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、健康保険法(以下健保法という)四三条三項一号の規定による保険医療機関西尾病院の開設者であり、かつ、健保法四三条ノ二の規定による保険医であり、被告は、健保法四三条ノ九、五項の規定により、療養の給付に関する費用(以下診療報酬という)の請求につき、保険者である政府及び健康保険組合から、その審査及び支払に関する事務を委託され、右事務を行なう公法人である。

2  行政処分

(一) 被告は原告に対し、昭和四七年二月頃「一月分増減点通知書」と題する書面を以つて、古田某につき二六四点、稲垣某につき九八・二点の減点処分(以下本件処分という)を行なつたが、本件処分は、健保法四三条ノ九、四項の「審査」(以下本件審査という)に当る。

(二) 本件審査は、行政庁である被告が、当該保険医療機関において療養の給付として被保険者に対して行なつた診療行為が法及び規則に照らし適正であつたか否かにつき判断を下し、不適正であつたと認めた診療行為については、その治療に係る診療報酬請求を否定し、適正な診療行為と判断した部分についてのみ診療報酬請求を認容するとともに、その額についての法令の定めに基づき、固定点数等に誤りがないか否かを調べ、保険医療機関に支払われるべき診療報酬額を具体的に確認し決定する行為であつて、行政庁の公権力の行使として行政処分に当る。

3  本件処分の違法性

(一) 本件処分の不明確性

本件処分は、「一月分増減点通知書」と題する書面により、原告に対し告知されているが、右書面によれば、本人名欄に「古田」、「稲垣」と姓の記載があるのみで、被保険者証の記号及び番号の記載がなく、その他被保険者を特定するに足りる記載がないため、本件処分が、どの被保険者につきなされたものであるか全く不明であり、しかも、増減点欄には単に「二六四点」「九八・二点」とあるのみで、増減点の別が不明であるから、本件処分は、その内容が極めて不明確であつて、重大かつ明白な瑕疵があるものとして無効であり、少なくとも取消し得べき処分である。

(二) 正当に組織されない合議機関による行政処分

被告には、診療担当者の提出する診療報酬請求書を審査するため、社会保険診療報酬支払基金法(以下基金法という)一四条一項の規定により、審査委員会が、その従たる事務所ごとに置かれており、右委員会は、診療担当者を代表する者、保険者を代表する者及び学識経験者のうちから、各九名以下(合計二七名以下)の同数を以つて組織されるものと定められている(同条二項)。

しかるに、被告の従たる事務所の審査委員会である岐阜県社会保険診療報酬請求書審査委員会(以下本件委員会という)は、合計四五名の委員で構成されている。

本件委員会は、診療担当者からなされる診療報酬請求につき、これを審査する権限を有し、その行使は、国民に不利益を課することもあるという重大な職務を負つているにも拘わらず、右違法な構成の下で本件処分を行なつたものであるから、本件処分は、重大かつ明白な瑕疵があるものとして無効であり、少なくとも取消し得べき処分である。

(三) 弁明の機会の供与の手続を欠く行政処分

被告は、本件処分をなすに当り、原告に対し何んら弁明の機会を与えなかつた。

処分者が、国民に対し不利益を課す行政処分をなす場合に、事前に被処分者に対し弁明の機会を与えるべきことは、行政処分を適正ならしめるため要請される行政上の原理であり、右機会を与えないでなされた本件処分は取消し得べき処分である。

4  よつて、本件処分には重大かつ明白な瑕疵があるから、その取消しを求める。

二1  本案前の答弁

被告は、これを健康保険の場合についていえば、健保法四三条ノ九、五項の規定により、請求原因1のとおり、審査及び支払に関する事務を委託され、また、基金法一三条三項の規定により、右事務を行なう場合、保険者等とそれぞれ契約を締結し、右契約の範囲内で、診療報酬請求の当否を審査しその支払を行なつているものであり、古田某及び稲垣某に関する減点は、保険者が、診療担当者から診療報酬請求を受け、これを支払うまでに当然とられるべき過程の一環として、保険者が一定金額の支払意思を決定するに先立つて行なう内部的判断作用に過ぎず、診療担当者が、個々の診療行為を行なう都度法規の基準に従い当然に取得する具体的診療報酬請求権に変動を生ぜしめるものではないから、右減点を以つて国民の権利、義務に影響を与えるものとはいえず、公権力の行使に当らない。また、被告は、基金法全体の趣旨に徴すれば、行政庁に当らず、行政事件訴訟法における取消訴訟の被告適格を有しない。

よつて、本訴は不適法であるから、これを却下することを求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因1は認める。

(二) 同2の(一)のうち、被告が原告に対し、昭和四七年二月二九日「一月分増減点通知書」を発送したこと、古田某及び稲垣某に関する減点は認め、その余は否認する。その主張の古田某及び稲垣某に関する記載は、同年一月三一日発送の「一二月分増減点通知書」にある。同2の(二)は否認する。その理由は、本案前の答弁のとおりであるから、それをここに引用する。

(三) 同3の(一)のうち、「一二月分増減点通知書」(右のとおり、「一月分」のそれではない)本人欄にその主張の姓のみの記載があること、被保険者証の記号及び番号の記載がないこと、増減点欄に「二六四点」、「九八・二点」の記載があることは認め、その余は争う。原告にとつて、姓の記載、管掌別、保険者名、事由等の記載事項を総合すれば、本人を特定し得るのであり、また、特に「十」の記載がない場合は、減点を意味する取扱いがなされており、増減点のいずれかを判定することは容易である。同3の(二)のうち、基金法一四条一、二項に関する主張は認めるが、その余は否認する。本件審査委員会の委員は二七名である。同3の(三)のうち、原告に弁明の機会を与えなかつたことは認めるが、その余は争う。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1については、当事者間に争いがなく、同2の(一)のうち、被告が原告に対し、古田某及び稲垣某に関する減点を行なつたことについては、当事者間に争いがない。

そこで右減点を行なつたことが行政処分に当るか否かにつき判断するに、右減点は、健保法四三条ノ九、五項(四項)及び基金法により、被告が、保険者から委託を受けて診療担当者たる原告から提出された診療報酬請求書に対する審査に基づき行なつたものであることが認められ、基金法の趣旨及び規定の仕方(被告は、診療担当者から提出された診療報酬請求書の審査を行なうとともに、保険者が診療担当者に支払うべき診療報酬の迅速適正な支払をすることを目的とする法人であり(一条、二条)、一方において、各保険者から毎月相当額の金額の委託を受けるとともに、他方において、診療報酬請求書を審査したうえ、診療担当者に対して診療報酬を支払うことを主たる業務とし(一三条一、二項)所管大臣から諸種の監督を受ける(二〇条以下)反面、法定の場合には診療報酬の支払を一時差し止める権限を有する(一四条の四)ものである。)からみて、被告が保険者から診療報酬の支払委託を受ける関係(同法一三条三項)は、公法上の契約関係であり、被告は原告に対し、直接に診療報酬支払義務を負うに至るものと解されるが、右は一般取引界における債権債務の関係をいうにすぎないのであつて、右公法上の契約自体から保険者の有する権限の委任(これは行政庁の一方的行為によつてなされる)を導き出すことはできない。

ところで、本件審査は、診療担当者の診療報酬請求からその支払いに至るまでの過程の一環にすぎず、支払意思を決定する前提段階にとどまり、本件審査自体は、内部的判断作用にすぎないものと解されるのであつて、本件審査はいわば一般取引界における債務者の債務確認行為と同様、その金額を内部的に確認する行為にほかならず、しかも、その金額をもつて診療担当者が請求しうべき金額とする規定も、その審査結果を外部に表白すべき規定もない。本件ではその減点につき、被告から原告に対し、増減点通知書が交付されているが、右通知につき、その根拠となるべき法令はなく、単に審査事務取扱規程準則、業務規程等に規定されているにすぎないところ、右は被告がその業務を行なうに当り、その準則を定めた単なる内部的なものにすぎないのであつて、右通知はいわば内部的判断行為たる本件審査の結果を診療担当者に知らせる意味において、それは事務処理上の便宜的な性質を持つにすぎず、右通知を以つて本件審査の行政処分性を認める根拠とすることはできない。

原告主張の本件処分いわゆる減点処分は、本件審査の結果とみることができるから、本件処分もまた行政処分性を持つものではない。

ちなみに、本件審査に関する法令には、その審査自体に一定の法的効果を付与することを認めた明文の規定がなく、また、被保険者の資格等に関する不服申立について定めた規定(健保法八〇条以下)にも審査自体について触れていない。

以上を要するに原告の診療報酬請求権は、被告の何んらかの行為に基づいてはじめて発生するものではなく、診療担当者が、個々の診療行為を行なう都度法規の基準に従い当然に発生するものであり、被告のなす審査は、右請求に対し、右基準に従い医療制度を適正に運用すべき立場から専門的に行ない、右請求がその基準に合致しないと認めた場合に減点という形でその支払を拒絶するに過ぎないものと解され、右支払拒絶の意思表示によつて原告の右請求権の発生、消長等に何らの変動を及ぼすものではないから、これが行政事件訴訟法三条の規定にいう行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為とはいえない。

してみると、原告が、前期審査に基づく減点を不服として直接給付の訴を提起するのであれば格別、これに対して処分の取消しの訴えを提起することは、その余の点について触れるまでもなく不適法といわざるを得ない。

よつて、原告の本件訴はこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 石川正夫 亀岡幹雄 大島哲雄)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例